写真が上達する方法

とりおたです。


一番初めに写真を撮ったのが、バイクで奥日光に行ったときなんですね。わたし写真などまるで興味がなくて、撮って記録に残すより、この風景見たくなったら もう一回行けばいいよねっていう考えだったのです。でも、雨の中いろは坂を走って、頂上にきたら急に晴れて見えてきた男体山があまりに美しかったため、生まれて初めて写真撮りたいと思いました。で、自販機で写るんですを買い、撮ってみた。


そしたらめちゃくちゃひどかった。撮ろうとしたものは何も残ってなかった。

で、かえって、写真ちゃんと学んでみたいなと思ったんですね。


で、いちおちゃんとしたカメラを、親のお古ですが使って撮ってみたけども、なんかやっぱり違うと。で、なんか遠近感だったり、山のデカさ感だったりが、狙っていたのと違う。なんで狙い通りにならないんだ。どうすればなるんだ、みたいなことをほんとに必死に考えつづけて色々試した。その結果、いろんなことをかなり早く覚えたなという気がしてます。


その過程で、やっぱりこれ、肉眼は二つの目で見てるけど、レンズは一個だし、どう頑張ってもおんなじにはならないんだと気づく部分もあったりで。


で、インスタなんかみてても、私みたいなタイプではなく、そんなにこだわらない人もたくさんいるんですよね。


私だと 初めてズームレンズ使ったとき、地平線が歪曲収差で歪んで曲がったから、それが気に食わなくてもう使わなかった、てことがあったのですが、
インスタみてると、収差で曲がってても気にせずに撮って、上げてる。


で、その絵がすごいよかったりするわけですよ。曲がってるの気にならないほどに。


あーなるほど。わたし変なところ気にして なんか失ってたものあるのかなーって、そういう思いも出てきて。なので、今は、あんまりこう撮りたいということにこだわらないで、出てきた絵が良ければ受け入れてくという感じで写真に取り組んでいます。


いや、取り組んでないわ。いつも寝てる。


写真の楽しみ方はそれぞれなので、狙ったイメージに近づけるべく努力して、そのほうが楽しければそうしたらいいし、出てきた絵を素直に受け入れて撮っていくほうが楽しければそれでもいいし。その両方をやってもいいし。


なんかみてたらどっちのタイプの人もいい絵を生み出してるので、たぶんどっちでもいいんだろうなと。


わたしも初期のころよりは変なこだわりが消えたので、脱力してより写真を気楽に楽しめるようにはなった気がします。


これからが本番ですよ。

にゃんこ助けれなかったごめんねにゃんこ

とりおたです。


10年以上前なんですが、実家に帰る途中の道で、子猫が対向車線で、ひかれていて、かなり、重傷な状態でした。でも生きていて、助けて助けてと苦しそうにもがいていたのですが、もうとても助かりそうにもない状態だったので、ごめんっと心で思ってそのまま行ってしまいました。


そのことはいまだに後悔しています。たとえ助からないとしても、助けに行って、よしよし痛かったね病院行こうねって。助からないとしてもそれやるべきだったなって。とっても後悔。


ですので、今度そういうことがあったらちゅうちょしてたらだめだな、と思っていました。そしたら、朝、通勤のときに、対向車線にまたにゃんこがはねられて、のびてました。


通り過ぎながらみると、まだ生きている模様。ここはすぐUターンして救出をこころみます。


なんとか、他の車に踏まれる前に、抱っこして歩道に運ぶことはできました。


抱っこしたときに 言葉ではないんですが、あー安心したーっていう波動を感じました。気のせいかもしれませんが。


それで ごめんねよしよし 痛かったねってなでなでして まず 飼い主を探さないと、と、近所の家を回っている間に、呼吸しなくなってしまっていました。


あー助けられなかった。ごめんねこちゃん。ごめんねこちゃん。


悲しいことではあるのですが、あの あー安心したーという感覚、あれは、気のせいじゃなかったと勝手に解釈しております。助けられなかったのは残念ですが、Uターンして戻ったのは、よかったと思っています。


あと、ほんとに命は限られたものだから、大切に生きようと、思いました。